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映画「何者」を観て自分は何者なのかを考えてみた

こんにちは。シズです。

2016年10月に公開された、朝井リョウ原作の映画「何者」。

キャストが佐藤 健・有村架純・二階堂ふみ・菅田将暉・岡田将生・山田孝之と、かなり豪華なメンバーで気になっていたのですが、Netflixで配信されていたので観てみました。

人間誰もが持っている闇の部分についてすごい核心をついた作品で、すごい面白かったです。

そしてこの映画を観てふと、自分は何者なんだろうか?と考えてみました。

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主人公の闇の部分に深く共感

一番冷静で客観的に物事を見られると思っている自分が全然内定が決まらず、大学時代はバンド活動に明け暮れていた同居人が先に内定が決まり、表面では祝福しながらも内面では妬んでしまう…

こういうのって、誰でも普通にありますよね?正直、私はあります。

人間って絶対、無意識に他人のことを自分より上か下かを判断している部分はあると思うんです。

だから自分より下に見ている人が自分より上手くいくと、面白くないんですよね。

主人公はTwitterの裏アカウントで内面で思っていることをつぶやいていたわけですが、私も他人に対して同じように思ったりしたことはあります。

この映画の感想で「怖い」とか「ホラー映画だ」とか「気持ち悪い」というものをよく見るけど、人間ってそういうもんじゃないの?って私は思います。

闇の部分って人に見せるか見せないかの違いはあるものの、人間だったら誰だって絶対持ってますよね。

SNS上で他人を叩くアンチもいれば、アンチを叩く人間もいます。

でももしかしたら、この両者ってたいして変わらないのかなーなんて私は思っちゃいます。

私は他人を叩くこともアンチを叩くこともしないけど、それはただそういう部分を他人に見せたくないからだけであって、私は別に立派な人間ではないし、アンチと同じようなことを普通に思ってたりするわけです。

だから私はこの映画の主人公が持っている闇の部分には、深く共感しました。

私は何者でもないけど、何者かであると信じたい

こんなこと人に言うのは恥ずかしいけど、「私は他の人とは違う」「自分は何かやれる」っていうことは割とよく思ってたりします。

でもこれってそんなに悪いことなのかな?

何かを成し遂げて歴史に名を残した人って、少なからず同じようなことを思ってたんじゃないかな。

だって、「自分はできる」って信じているからこそ挑戦し続けるわけで、「私にはできない」って思ってたらそもそも「何かすごいこと」をやろうとはまずしないと思うし。

今のところ私は何者でもないんだけど、心のどこかでは何者かであると信じたくて、いつかなれるんじゃないかと思っているのです。

こういう根拠のない自信が割とスゴイ力を発揮するのでは?なんて思ったりもしています。

世の中には何者が溢れている

SNSを見ていると、「この人何者なの?」って思う人がすごい溢れていませんか?

広い世界で見ると何者でもない人でも特定の限られた世界ではスゴイ人がたくさんいて、そういう人たちが誰かに向けて自分の考え方などを偉そうに発信しています。

そしてそういういわゆる「意識高い系つぶやき」をリツイートして意識高い系を装っている人もいっぱいいて、SNSには意識高い系をアピールしたい系がうじゃうじゃいるわけです。

とまぁ、こんな風に言っちゃう私って、まさに映画の主人公のような闇の部分をめちゃくちゃ持っているんですよ。

じゃあ自分はどうなのかって言われたら、客観的に見たら自分もたいして変わらなかったりするんですけどね。

私だって人に良く思われたいっていう気持ちはあるし、頭良く見せようとして知ったかぶりをしたことだってあるし、結局心の中でそういう意識高い系の人たちを見下して自分は違うんだってマウンティングしたいのかもしれません。

私はマウンティングする人って嫌だなーって思いますが、よくよく考えたら私も少なからずしている部分はあると思います。

でも人間ってそういうもんなんじゃないのかなー。

だから世の中には「何者」が溢れてるんじゃないでしょうか?